2001年末にチバ ユウスケ[Vocal & Guitar]と照井 利幸[Bass]を中心として、ドラムスにMASATO(ASSFORT)を迎えた3人編成でROSSOの歴史は始まった。集中的な短期間のスタジオ・セッションを繰り返す中で、2002年2月には新宿ワイアーで初ライブを行った後、新宿リキッドルーム(TABOO)や渋谷クアトロ(MARZ VOLTA)で飛び入りライブを行う中、2月中旬からレコーディングに入る。そして2週間足らずで1st Album『BIRD』<2002年4月24日リリース>を録音した。LOSALIOSと強力なタッグを組んでオールナイト・イベント・ツアー“Weekend Lovers”を行い、HARRY/syrup16g/STROBO等をゲストに向かえ全国12公演を廻る。同年8月にはRISING SUN ROCK FESTIVAL 2002 in EZO <Red Star Field>に出演。チバがミッシェル・ガン・エレファントの活動に専念することもあり、このライブをもって、第一期ROSSOは一旦活動を休止することになる。 2003年初夏、照井はソロプロジェクトのレコーディング作業を開始。同年10月、チバ ユウスケはTMGE解散後、照井の誘いによりヴォーカルとしてこのレコーディングに参加をする。 プロジェクト名を“RAVEN”とし、アルバム『限りなく赤に近い黒』 <2004年4月23日リリース>を完成させた。アルバムが完成をした年末あたりから、二人は新たな活動に向けての模索とセッションを始めた。2004年1月、同アルバムは完成をしていたが、照井&チバの二人のセッションから生まれた『STAR CARPET RIDE』(RAVEN同アルバムの初回盤に収録)の録音を行った。二人が目指していたのは、いうまでもなく新生ROSSOとしての活動だった。そのために新たなる強力なメンバーを捜し求めていた中で、2月に行ったセッションでイマイ アキノブ(Guitar)と佐藤 稔(Drums)と出会う。二人は共に“FRICTION”に一時期在籍していた経歴を持ち、佐藤は87年から97年に在籍し『Replicant Walk』、『Dumb Numb CD』、『ZONE TRIPPER』の3枚のアルバムに参加(現在は水戸華之介&3-10chainにも2000年から在籍中)、イマイは95年にリリースされた『ZONE TRIPPER』発表時に在籍(2000年にはソロアルバム『ノゾキカラクリ』MIDI CREATIVE/GREEN SLEEVESを発表)していた。この二人を加え4人編成となった新生ROSSOは3月からスタジオでのセッションを開始し、四人のぶつかり合いの中で曲のアイディアは無尽蔵に広がり、30曲を遥かに超える曲が生まれていった。セッションやプリプロを重ねた後、7月から一口坂スタジオ[エンジニア:山口 州治氏]にて本格的なレコーディングを開始し、さらに8月にはスタジオを移してST.ROBO[エンジニア:ZAK氏]でレコーディングを行った。 そして遂に新生ROSSOとして、ダブル・シングル『1000のタンバリン』/『アウトサイダー』を11月17日、2nd Album『DIRTY KARAT』を12月8日にリリースをする。 |